北部ベトナム少数民族探訪 | |||||||||||||||
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いつもホストファミリーとしてお世話になっているA.M .さんからモンゴル交流の旅行記が届きました! ウランバートルに行ってきました(5月31〜6月7日)。目的は第1回モンゴル国際マラソン大会を 子供たちも羊の面倒を見ています。みんな大忙しです。そんなところに変な日本人客がきて迷惑だったかも? 私はいつ食事にありつけるかと心配でした。でも、お母さんは毎回珍しい食事を作ってくれました。 � 肉うどん(ゴルリタェ シュル)�揚げ餃子(ホーショール) �野菜汁(ノゴートイ シュル) �肉まん(ボーズ) �塩ゆで肉(ツナサン マハ)など。 あまりおいしいのでお替わりに、から皿を持って台所(小屋)に行くと「よく食べるお客」と笑われました。 そうそう、ミルク茶(スータエツア)もよく飲みました。ただ生野菜がないので便秘になり、草原にポツンと 建つすごい小屋のトイレでハエと闘いながら「ウ~ン」とうなっていました。水ももったいないから身体を 拭くだけです。電気はろうそくの明かりです。天井からの星明かりがとてもロマンチックでした。 私の孫と同じ年の女の子、男の子たちと棒とペットボトルで野球をしたり丘をかけっこしたりしました。 |
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■■■ カメラを通して見たスリランカ ■■■ | |||||||||||||||
2009年7月12日実施 講師 為我井輝忠氏 日本スリランカ文化交流協会代表 SIA会員 日本スリランカ文化交流協会代表であり、SIAの会員でもある為我井 輝忠さんが約20年前、 日本の雑誌にSenka Senanayake という大学生が「今スリランカは、内戦状態にあり、 多くの人が犠牲となっている。日本の方々にこのことを知ってもらいたい。そして助けて欲しい」 という内容の文章を読んだのがスリランカに興味を持つきっかけとなり、それ以来彼との 手紙のやり取りが続いた。 ◎ 国の人口は約1900万人、面積は日本の九州より大きく北海道より小さい。 島国で「涙のしずく」と呼ばれる地形である。 ◎民族はシンハラ人74%、タミル人18%、モスレム7%、バーガーと呼ばれる白人との混血が少数。 ◎公用語はシンハラ語、タミル語、植民地支配の影響もあり、英語も広く使われている。 ◎植民地の歴史 ポルトガル領 (16世紀~17世紀前半) オランダ領 (17世紀後半~18世紀末) イギリス領 (18世紀末~ ) 1948年独立 国名を「セイロン」から「スリランカ」と変える。 ◎宗教は<テーラワーダ仏教>日本の仏教と少し異なる(シンハラ人)。 <ヒンズー教> (タミル人) <イスラム教> モスレム <キリスト教> バーガーその他 ![]() ◎ 内戦の歴史 1977年シンハラ人の一部のグループ(JVP)が反政府運動を起こし内戦となった。 1983年タミル人の一部のグループ(LTTE)が国の一分割を要求し、反政府運動が 起き紛争が始まった。2009年5月、政府軍の攻略により、LTTEのリーダーが暗殺 されて内戦は終了した。 * このトーク&交流会に参加したスリランカの方々が「世界の人々はシンハラ人と タミル人の民族間の対立による紛争と誤解しているが、本当はシンハラ人とタミル人は 仲が良いのです」とおっしゃっていました。為我井さんが内戦終了後センカさんと 対面を果たし、一か月間、彼とスリランカを一緒に旅行した。その後も何度も同国に 魅せられて訪ねたスリランカの自然、生活、食べ物、宗教、結婚式、お祭りなどの 写真を撮りました。 <自然> 手つかずの自然が沢山残っている。美しい川や湖、西海岸と東海岸の美しい海。 中央部には2000メートルを超える山々、それを取り囲む緑の紅茶畑や段々畑が 広がっている。四方を海に囲まれた島国なので漁業も盛んである。米作りは何期作も 行われており、高原野菜の栽培も盛んである。紅茶は世界弟2位の生産高。 宝石の産出も有名である。 <お祭り> スリランカ最大の「ペラヘラ祭り」は有名である。キャンディという場所で毎年7月~8月 にかけて10日間、開催される。毎年開催日は異なる。 ![]() 日常の労働力としてのゾウの役割は大きいが、それだけでなく神聖な動物として様々な 祭りに登場する。「ペラヘラ祭り」ではたすゾウの役割は大きく100頭にも及ぶゾウの中で 頂点に立つゾウが「仏歯」を背に乗せて街中を10日間練り歩く。 ![]() 野生のゾウは4頭から5頭が一つのグループで行動しているので観察するのはジープで 行かないと無理とのことです。 ![]() <人々の生活の写真> *建物や街並みは植民地時代、特にイギリス時代の影響が一番大きく残っている。 ゴールのフォートはオランダ時代の街並みがすべてユネスコの世界遺産に登録されている。 ![]() *日本から輸入した中古バスが名前も消さず使われている (日本車はかっこいいから、わざと消さないそうです) ![]() *イスラム教の人々が白い洋服を着てモスクに向かう人たち。 *寺院の前で蓮の花を売るひと。 ![]() *お茶摘みをするタミル人の女性(安い賃金で働いているそうです)。 ![]() *キンマの葉に木の実を包んで噛む人(気分がよくなるそうです)。 *線路を歩く男性(電車の本数が少ないので・・・・) ![]() *公園で傘をさしてデートするカップル(傘で二人の顔を隠している)。 ![]() * 結婚式のセレモニー(宗教により異なる。恋愛結婚より見合結婚が多い) ![]() * スリランカの日常の食事 ![]() <津波> 4年前に起きた津波はスリランカの人々には始めての経験で「津波が来るから逃げなさい」 と言われても津波が何のことか全くわからず誰も逃げようとしなかったそうです。災害援助 として贈られた衣類は喜ばれなかった。 水や医薬品の方が喜ばれたそうです。 <教育状況> 義務教育 9年間 (日本の小学校、中学校) Ordinary Level 2年 (日本の高校) Advanced Level 2年半 (日本の高校) * OLかALを終了後、大学入試が受けられる。 トークの後の交流会はスリランカの若者を交えて和やかな雰囲気でした。 セイロン紅茶を飲みながらカレー味のクッキーやケーキなどスリランカの食 文化に触れながら話が弾みました。 司会の大田さんの音頭でこんにちはを意味する「スバタワサク」に始まり、またお会い しましょうの「ネワタハムウエル」で終了いたしました。 H.Y.さん記 |
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■■■ 南米大陸・アコンカグア登頂を目指す旅 ■■■ | |||||||||||||||
会員 GSさん記
動き始めた壮大な計画:
登山装備は、南米のカウボーイ、ガウチョに託し、木陰のない長い谷をひらすら歩く。
富士山の訓練の効果か高所に慣れて高山病の
3人の内2人は中国ヒマラヤ7,000mを制覇したベテランで私はパキスタン5,200mに過ぎない |
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■■■ 上海の旅に参加して■■ | |||||||||||||||
<上海の旅レポートその2> SIA会員4Leaves ! が習い覚えた怪しげな中国語を駆使して、上海旅行をしてきました。 といっても現地ガイドもキャビキャビギャルのカメラマンも、日本語が上手で、我々の中国語は 役立たず。ニツ、キュツ。パツ(29、800円)で往復JAL全食事付き、観光付き、3泊4日と すべて4leaves向きです。あまりの安さに、もしかしたら何か不具合があるのでは、、、、 と心配しましたが、食事も美味しかったし、ホテルもまあまあ,観光も楽しかったし, お土産も買ったし。しかし、国際観光客ではなく、中国人の観光客が多かったのにはビックリ。 ガイドさんはどこもすべて赤い旗を立てて先頭を行くので,人混みの中うっかりすると 中国語の真っ只中に迷い込んでしまいます。着いて歩くのに必死でした。 中国の新幹線に乗りましたけれど、日本よりスピードが緩やか、140、50キロでした。 それより、日本の皆さんより一足お先にリニアモーターカーにも乗りました。たった8分でしたが, こちらは301キロ出ていました。のぞみは最高何キロですか〜? 上海の広い大地を走るので、スピード感はいまいちで余り自覚症状なしでした。 来年は上海万博とやらで、突貫工事?で町中を整備中。 昔のヨーロッパ調のすてきな建物も残っていましたが,高層ビルも益々増えていました。 黄浦江の両岸のイルミネーションのスケールの大きさには、乗船時の骨折しそうなラッシュも わすれて、思わず釘付けでした。 寒山寺で1名迷子になり、出家しちゃったのかと残る3名は命の縮む思いでしたが、 結局SIAを捨てるわけにはいかないと戻ってきてくれました。めでたし、めでたし。 < M.M 記 > 会員 K,Tさんからのおたよりです。 皆様ごぶさたしています。 K,T,です。上海たより遅くなりましたが送ります。
他の方からも楽しい報告が届くと思います。 4月末、SIAの仲間4人で杭州、蘇州、上海の旅に参加した。
仲間達とは、中国語を学び始めて10年近くなるが、中国にはまだ行ったことのないM子、
海外旅行は全く初めてのN子、数年前に天津師範大学で日本語を教えていたA子、 そして中国は4回目の私K子。 中国には何時行っても何処へ行っても人の多さと賑やかさに驚く。経済が豊かになれば
日本の10倍以上の人口を持つ中国、人々が観光地に集まるのは当然である。 観光2日目にトラブルが発生した。蘇州の寒山寺で海外旅行初めてのN子がはぐれてしまった。 どうしよう!? 間もなく彼女から3人にメールが届き、すぐに対処したA子。人混みの中を 走り回った添乗員助手のカメラマン。無事出会った時にはほっとした。 彼女は中国張継の「楓橋夜泊」日本でも有名な“月落ち烏啼いて霜天に満つ”の詩を 流暢な日本語で話している中国人ガイドの説明に聴きほれていたとか・・。 あの時は携帯電話の有難さをつくづく感じた。 上海のナイトクルージングでは600人乗りの船に6000人ほどの人が待っていて, 我先にと乗り込む人々に大声を出して阻止する人。大勢集まると声はますます大きくなり、 少々くたびれる。しかし友好的な人も沢山いる。日本人に興味があり色々知りたいらしい。 一番知りたいのは、日本人の平均収入だったが・・。又、上海の夜景は格別である。日本に 留学していた湯暁さんに案内してもらい上海の夜を満喫した。たった3泊4日のツアーで忙しく 廻ったが廉価にもかかわらず往復とも日航機で、新幹線とリニアモーターカーの指定席に乗り、 ホテルは4つ星、食事も毎回それなりに美味しかった。価格は2年前の4分の1だそうだ。 結局夜のオプション参加や土産店へ3軒ほど案内され、買い物好きの日本人がお金を使ってくれる・・ そんなことかな?と思った。 なにはともあれ10年間勉強したM子は多いに中国語を駆使し 満足したようで、4人共それぞれ役割分担が自然に出来、満足した旅であった。 < K・T 記> |
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■■■ M.K.さんのオージーカーボーイ体験 ■■■ | |||||||||||||||
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■■■ 中国を自転車で走る ■■■ | |||||||||||||||
会員M.Yさん投稿
SIAニュースで紹介された長江山峡自転車旅行の会主催、三国志、呉の国を巡る旅(荊州、赤壁を往く、宜昌>岳陽、長沙)に3月20~29日に参加してきました. 23日、70km走行、途中見学あり。 26日、道路工事のため悪路を70km走行、途中見学。 27日、金城武主演でお馴染みの、映画レッドクリフの赤壁対戦の主戦場へ。渡し船で長江を渡り、赤壁摩崖石刻見学、当時の戦いがどのような戦いであったか思いにふけりながら、50km走行、完走しました。ホテルに戻り自転車解体、これで自転車の旅は終わり。 28日湖南省博物館にて約2100年前?の女性のミイラや副葬品、埋葬された棺など完全な形で保存されており、当時の寿命は30歳、ミイラの女性は50歳、頭にはカツラがあり着用していたそうだ。それにしても裾野の広い国。墳墓の周りは炭や漆喰、石灰を使い完全な形のミイラを残したのだそうです! それにしてもこの旅行、中国の歴史、中華料理、酒、自転車、全てに満足させていただいた旅行でした。交通マナーは決していいとはいえないが、郷にいれば郷に従えの例え通り、臨機応変に対応し、自転車の準備やサイクリングの知識のないまま参加しました。自分なりに楽しく走れた自転車旅行でした。来年の自転車旅行は中間の移動に、寝台車を利用する旅行にしたいとか! コースでみた交通事情 地図もごらんください。 とにかく中国に興味がある方なら参加する価値ありです。 |
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