***アリー パラオ(こんにちはパラオ)***
2003年パラオツアーの報告です。
旅企画 SIA相模原市国際交流協会・日本パラオ協会。
ただしあくまでも私個人の目で見、耳で聞き、心で感じたワタクシ的報告です。
(パラオ情報についての詳しいページはこちらをどうぞ)
■プロローグ
旅への願いはいつも同じ。素敵な出会いと体験と発見。
とにかく鮮度の落ちない内に写真と一緒に報告をします。
写真@(パラオの海とパラオ松島と呼ばれる島影)
■■出会い・・@ペリリューの子どもたち
ペリリュー島はパラオ本島から約50キロ。ペリリュー島で宿泊のお世話をお願いする
S氏のボートで島の間を縫い、湧き立つ白波を越え、リーフの果てに突き進むごとく
ペリリューを目指した。セルリアンブルー・プリシャンブルー・ウルトラマリーン・
エメラルドグリーンと色調を表現するボキャが浮かんでこない海の色の見事さ!
まずはその島唯一の公立学校を訪問。
子ども達のかわいさは世界共通。
とりわけパラオの子ども達の明るさと無邪気さは底抜けだった。よく遊び、親を尊敬し、
先生を尊敬し、よくお手伝いをし・・。ずっと前の日本の子ども達に似ている!
在校生は1年生から8年生までで、全校で135名である。
まずは校長室へ。ここでは屋内ははだし。校長先生が女性であるのもうれしいけれど、
ひたひたはだしでいるのもなにか懐かしくうれしい。
いよいよ音楽教室へ。・・・といっても体育倉庫を半分にして音楽教室にした感じの
小部屋。音楽担当はJICAから派遣された元気はつらつ女性のU先生。
パラオで出会った最初の日本の若者でもある。学級の生徒数16名。学級では
2002年の本ツアーで送ったピアニカの合奏と合唱で歓迎してくれた。
曲目は「上を向いて歩こう」そして最後は全員で「蛙の合唱」の輪唱。今年もまた
手荷物で運べる限界のピアニカ13台、リコーダー3本を贈った。子ども達は心底大喜び。
昨年の楽器も今年のも大半は相模原の中学校の保護者の皆さんの協力を得て集めた
ものだった。感謝!子ども達の歌声を相模原にも運びたい!
次の日、自転車に乗った男の子が、「うえをむ〜いて」と声をはりあげて歌いながら
走っていくのに出会った。来年も贈りたいと思ってしまう。
次の日、数人男の子たちが宿舎のコテージにやってきてきた。パラオの伝統のダンスを
披露してくれるという。本来はパラオベニバナで染めた真紅の「ふんどし」を締めて踊る
勇壮な戦いの踊りだが、今回はTシャツ、短パン姿のかわいい踊りだった。「ふんどし」が
見つからなかったとか!
1月のパラオは一番気候がよいという。夜が更けて満天の星。残念ながら南十字星は
みえなかった。もっともあれを見ると「サンザ苦労するらしい!?(the
Southern Cross)」
椰子の実ジュースで割ったパラオ焼酎を片手に、(もちろん子ども達はソフトドリンクだけれど)、
踊り語りながらパラオの夜が更けた。ペリリュ−の子ども達に乾杯!パラオ焼酎で乾杯!
ところで、昔は椰子の木10本あれば一生暮らせる国だったという。今は子どもを大学に
出すには椰子の木1000本ほどの費用が必要という。しかも、アメリカナイズされた食事で
すっかりふくよかになったパラオの人々は、もはや椰子の木に登れない。だから1000本
あってもヘルシーなヤシジュースもおいそれと取れないという現実はあるようだ。
教育費の工面はここでも大変だ。子ども達はグアムやアメリカ本土に渡って高等教育を
受けるというが・・・。あのかわいい子ども達が成長して、パラオの自立経済を支える
ようになっていってくれるだろうか。もう一度彼らに乾杯!
写真A(伝統ダンスを踊る子ども達)
■■■日本のよき若者たち
素敵な日本人の若者たちに会った。JICAから派遣された看護婦や海洋研究、あるいは教師
として活動する若者たち。パラオの生態系を損なうことなく自然保護の視点でツアーガイドの
研修を積む若者たち。(育てているのはパラオの自立を支援してパラオに定住する日本人
研究者Kさんだった。)
世界有数のダイビングスポットがあるパラオに来て、ダイビンングの腕を磨きながら
インストラクターとして自分を試す若者たちには大変世話になった。どの若者たちも
実に生き生きと意欲あふれてみえた。言い換えれば彼らは日本で見るより数倍命を
輝かしているようだった。なぜだろう。彼らを揺さぶってパラオに行かせたチャレン
ジングスピリットかしら。彼らの何人かは「ダイビングおたく」かもしれないが、
少なくても日本を離れて外国で自己挑戦をする若者たちにはsomethingがある。
ここでは彼らは裸同然か、せいぜいTシャツと短パン。対するこちらも同様だけれど、
若者に向き合う肉体としては少々くたびれていてなさけない。そのせいもあって、
若者たちはさらに凛々しく美しい・・ノカナ?
ところで、この人口17,000人のパラオ共和国にJICAから30人が派遣されていると
聞いてちょっとびっくりだ。パラオ政府は日本にスポーツ指導者派遣を期待するため、
多くが各種スポーツの指導者として活動しているという。パラオが経済援助国から経済
自立の国家へと変遷していく過程で日本の若者たちが大いに関わり、自信と活力をもった
若者たちに育って帰国してほしいものだ。日本からの若者たちに乾杯!パラオ焼酎で!
■■■■染める(草木染)
今回の旅の個人的狙いの1つがパラオでの草木染だった。どんな素材が見つかるかは未知数。
現地聞き取り・現地調達・現地実践の予定である。持参した絹糸は2カセ。180g。
パラオの自然に詳しいKさんによるとマングローブの樹皮で染まるという。深い柿シブの色に
染まるはずという。早速ペリリューのコテッジで挑戦した。コテッジは見渡す限りマング
ローブの林が続く浜の一角にある。マングローブの枝をいただいて煮出す。ただしお借り
したのは小さな鍋。やむなくマングローブの枝を細かく切って煮出す。ツアー仲間のY女史が
手伝ってくださる。煮出し、染め汁を取って、糸を浸す。媒染はマングローブの灰汁。
上品なブラウンの糸となった。マングローブ染めショール・・ちょっとイイナとにんまり!
島にあるベニバナ(日本の紅花とは違う)はきわめて優れた染料で、伝統の島の踊りで
身につける真紅のふんどしもこの染料で染めるということだった。次回機会があれば木綿を
染めたい。その他まだまだ草木染の材料はあるという。タマナという樹木の実や
ヤエヤマアオイの根でも染まるという。パラオの伝統工芸について未知の世界だ。
ワクワク・ドキドキ・・・。も一度パラオの自然に乾杯したくなった。
写真B(マングローブのたくましい芽吹き)
■■■■■自然観察する
島の静かな岸辺をガイドに誘導されて巡るカヤックツアーも、宿のテラスの手すりに
よりかかっての定着観測も最高のオッチング環境だった。
写真C
自称バードオッチャーの私は、どんな鳥たちに出会えるかワクワクもの。ここでしか
見られない鳥が実に多いし、日本に渡って来てお目にかかれる鳥も若干いる。
(双眼鏡はここで大いに活躍する)コアジサシ、エリグロコアジサシ、そして現地にいても
めったに見れないというシロコアジサシにも出会った。真っ白な長い尾がハマユウの
花弁のように空中に流れた。昆虫のように空を舞うアマツバメ。その上をフルーツバット。
これはスープになってレストランで姿のまま出てきた。なかなか美味。声は抜群で姿が
黒いパラオガラス。パラオの国鳥ギンバトは姿がうつくしい。もちろん日本でもみることが
できるシギが干潟でじっと引き潮になるのを待っている姿をコテッジのテラスから眺める
のも飽きない。しかし分からない鳥が沢山いる。「パラオの野鳥」というような本がほしい。
K氏によるとそうした自然紹介の本の出版を企画中という。マングローブは淡水と海水の
混じる島の周辺の水辺を埋めている生命力あふれる樹木だ。80種もあるという。
時々塩分を幾枚かの葉っぱに集めて黄色く変色させて散らし、塩分調整をしている優れた
樹木だ。たくましい芽吹きにも感動! 一月は花が多いとは言えない季節だろうがこちらも
名前がわからないものが多い。土地の俗名を聞くのもいい。例えば火炎樹はナンヨウザクラ。
パラオの花に鳥に虫に樹木に乾杯!
■■■■■■潜る・・・ダイビング
パラオの海の美しさを十分に表現する言葉が見つからない。ボキャの貧困ぶりを露呈しながら
船上で身を震わせる。ところで今回のツアー仲間の10人中7名はスキューバダイバーである。
世界のダイビングスポットパラオである。旅の最大のお楽しみとしてダイビングをカウント
してきたに相違ない。彼らは宿に帰ってはこのパラオの最大の自然資源である海の中での
壮大な出会いを語る。シュノーケリングとは比べ物にならないすごさ、ダイナミズムという。
・・マンタがいた、ナポレオンフィッシュを見た。群舞するいわしの群れを撮った・・。という。
「すごいよ!潜ろうよ。パラオの自然資源を観察すべきだよ!」とけしかけてくれる
旅の仲間に恵まれて、体験ダイビングなるプログラムに参加した。当然ライセンス保持者の
ダイビングとはグレイドが違うけれど、パラオの海はオパラオの海!
インストラクターがしっかり寄り添って基礎訓練。そしてもうパラオの海中へ。これが
ダイビング!これが海中!ブルーホールの大きな暗い穴から先に潜ったダイバーたちの
吐く空気の泡がいくすじにもなって立ちのぼってくる。素敵な体験だった。
ほんと!“自分に乾杯!この見事なパラオの海中の自然という資源は、パラオの最大の
観光資源にちがいない。自然をどう保持していくのか。そのことにダイビング仲間の撮影した
海中写真を見ながら思いをはせる。この海に乾杯!
写真DE(回遊する魚の群れ・マンタ・ナポレオンフィッシュ)
■■■■■■■戦跡を巡る
Nさんの案内で第二次世界大戦の大激戦地ペリリューの戦跡を巡り慰霊碑に祈りをささげる。
まだ草生す林や洞窟の隅に遺骨が沢山眠っているという。昨年遺骨収集に訪れた遺族によって
火葬され埋葬された何体かの遺骨の写真を見せていただいた。十を越える頭蓋骨が火葬され
埋葬されて、新しい墓碑ができていた。写真F(欠番)
戦後57年である。この島には57年以上の年輪を刻む樹木がない。
日本軍玉砕の当時、島の樹木もなにもかもすべて戦火で焼き尽くされて、一面ののっぺりした
台地になったという。洞窟の隅でN氏は人骨を見せてくれる。こうした骨がまだ沢山あるという。
まだ、地雷も処理されないであるのではないか。ちょっとトイレのつもりでジャングルに
踏み込んで事故になると困ると、一本のビニールテープで立ち入りを注意しているとN氏。
さりげなく語られるが、すさまじい過去がまだそこにある実感。日本軍の戦車。
大砲に草が絡んで生い茂り、鳥が一羽止まってこちらを眺めていた。
カヤックツアーで鏡のごとく静かな岸辺を巡っていて遭遇したゼロセンの残骸も
この朽ち果てるのを待つ戦車も、すさまじいモニュメントである。
オレンジ海岸、高崎海岸・・聞き流してしまいそうなネイミング。オレンジ海岸は
激戦時アメリカ軍が上陸を試みて日本軍の地雷で何千もの兵士が倒れ、海は血でオレンジに
染まった所という。高崎海岸は当然高崎出身の部隊が駐留していた場所。
やがて我々はN氏の乗り心地の悪い古い車に揺られながら平和という言葉のこれ以上の
具現はないと思われるコテッジに帰った。この平和な南海の島の草生す大地の下で
今なお眠る多くの戦士たちの御霊に合掌し、この平和な人々の暮らしの継続を願って
祈りをささげたい。
体験GHI(草生す戦車・ゼロ戦・玉砕の洞窟)
■■■■■■■■化人類学的観察など・・
パラオの葬式のヒトコマを垣間見る機会があった。一週間かけて準備して厳かにしめやか
に弔う。まるで島葬の感じ。島中から人がよって(特に老人が沢山集まって準備していた)
椰子の葉で籠を編む。タロイモを煮てタピオカをつくる。葬式当日は国中から人が集まると
思えるほど、絶え間なくボートが港に入ってくる。ツアー参加者のY氏が香典を持って参加。
母系社会の国パラオでは香典は男性より女性の方がダントツに高いという。
因みに大統領の香典は10ドルとか・・。(Y氏も10ドル包んだ)宿の女主は200ドルを
包むという。もちろん彼女はこの州の顔だから。飛行場の土地も彼女の地所ということだ。
ところで葬式の精進落しの折り詰めにはタロイモの煮っころがしと魚の揚げたのなど。
味は不明。いただき損なった。
葬式の準備をする御老人たちは皆さん日本語ができて、ゆっくりと亡くなった女性の話を
してくれた。人々の心優しい営みが見えた。
写真J(島の葬式)
■■■■■■■■■エピローグ
爪伸びるパラオ
パラオ旅行は5年寿命が延びるとツアー経験3回目のY氏のことば。なるほど日本で切って
短くした爪がぐんぐん伸びた。私だけでないらしく、「爪きり貸して」の声が聞こえる。
さらには不思議な微粒子が溶け込んだミルキーウェイという湾があって、そこの砂を顔に塗ると、
パック効果で肌が若返るらしい。もちろん体験しました。今もその効果は継続中・・・デス。
以上「出会いと体験と若返り」のよき旅の報告です。
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