ミャンマー(ビルマ)近況あれこれ                       TOPへ

SIA会員小野田氏の報告
2008年2月11日 理事会学習会から
支援活動で2008年11月同国を訪問した際の友人の話や街の様子等から得た最新のミャンマー(ビルマ)です。
2008年5月のサイクロン被災の様子、大規模デモ、その後の状況等を中心にスライドも使っての報告でした。
また、ミャンマーのほとんどの仏像に付けられている、発光ダイオード使用の点滅式の光背も実演紹介があり、
興味深い報告でした。


要旨
ミャンマーってどんな国?小野田氏の目に映ったミャンマーの姿は?
歴史は?諸制度は?人々の暮らしは?
「ビルマの竪琴」で知られる国ビルマは、静かで穏やか信仰心厚い国民性の国。
今ミャンマーと国名をかえて、軍独裁の国家として、また情報不開示の国として、
ベールの向こうにいる国です。しかし、ミャンマーとタイは歴史的には東南アジアの2大国でした。
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/index.html

◇ あれこれ1
○ 突然の首都の移転(ヤンゴンからネビドウーへ)の光と影
 http://www.vinapark.com/blog/int/archives/000758.html
 新首都移転により、電力不足が発生し、よく停電が起こるようになった。  
 都市建設で仕事が創出され、就労率が上がった、、、などなど
○ 高校の授業料は不用。貧乏な家の子供も高校へ行ける。でも卒業認定の全国統一試験のため、
  塾商売が盛ん。小野田氏の友人も、塾経営者とのこと。
  高校卒業認定試験合格の為に、田舎からヤンゴンに出て、塾に寝泊まりして学習し、受験する。
  塾は宿泊施設を兼ねた認定試験予備校となる。
  小野田氏の目には、向学心に燃えた真面目なミャンマーの若者達の姿が印象的であったとのこと。
○ 病院では薬の処方箋だけ出す。あとは自分でお金を出して薬局で薬を買う。
  貧しい国民は薬が買えない! 大変です。

◇ あれこれ2  大規模デモはなぜ?
  2007年10月に起きた大規模デモについて、
○ 米はなくならないが、物価は急上昇。質によって、10倍ぐらいの開きがある。
○ バス代は一時の10倍。(20チャットから200チャット)に。今は100チャット(約10倍)程度。
○ 我慢できなくなった若い坊さん達のデモに普通の市民が沢山加わった結果のデモか?
○ 発砲の気配があると、先を争って逃げたという。逃げれば撃たれないということであったか?
○ 民主化運動家の行動というより、生活の苦しさを訴える政府に対する抗議運動ではなかったか?

◇ あれこれ3 サイクロン大災害の爪痕は?
  2008年5月にエヤワデイ川のデルタ地帯を襲ったサイクロンの被害と援助の状況は?
  ヤンゴンに住む友人の体験とヤンゴンの変わりはてた風景
  エヤワディ川デルタの田舎
○台風はエヤワデイ デルタを直撃。ヤンゴンの北西部を抜けたらしい。
  
  
ミャンマー国周辺地図とサイクロン経路

(NPO難民を助ける会ニュースより)













○ デルタ地帯は関東平野より大きい(約200km四方)全くの平野。避難する高台は無い。
   

 エヤワディ川デルタの田舎























○ 多くの市民,あるいは被災者の友人がグループをつくって米や食料をトラックや船でデルタへ
運んで支援をおこなった。しかし、軍が規制していて、たどり着けない場合もあった。
○ 外国からの支援物資は1/3は何処かに消えたらしい!?!
○ ヤンゴンでも直径1mほどもある巨木が多く倒れた。結果街の見通しがよくなって、
遥かまで風景が開けていた。



また、倒れた大木の根を使って置物等作って売る市民も!
○ ヤンゴンの北東の学校では、古い建物の屋根が飛んだりしたようだ。最新改修の校舎は被害が
なかったり、トタン1?2枚目が損傷した程度だったという。地区の教育委員会は急遽トタン板を手当てして、
1週間位で授業が再開したとのこと。

一貫教育になっている中学,高校   サイクロン後新しくなった学校の校舎






















◇あれこれ4 その後、、、
2007年あたりから始った観光客の減少傾向と、本年度の激減の状況など、
今回の世界経済の悪化が深刻な影響を与えているのではないか?