世界の窓


 
ジャンボ!ケニア(こんにちは!ケニア)   by KOBA


 山川惣二の絵物語「少年ケニア」に胸躍らせた子供の頃からの夢、アフリカ・サファリツアーをこの秋実行しました。マサイ・マラ、アンボセリなどケニアの代表的な国立自然保護区を約10日間ハシゴして、夜間ロッジの真近にライオンの咆哮を聞くなどエキサイティングな経験をしましたが、その中で印象深かったことをピックアップしたレポートをお届けします。ご笑覧ください。

 ケニア共和国      

 ケニア共和国は面積が日本の約1,5倍、人口約3000万人、赤道直下だが海岸地方以外は海抜が高いため、平均気温10℃〜28℃と比較的過ごし易い気候である。民族構成はマサイ族、キクユ族カンバ族など42部族からなり、ナイロビ中心のキクユ族が5分の1を占める多数派でありまた政治経済の主流派でもあるが、マサイ族はその槍と盾が国旗にデザインされているようにケニアのシンボル的部族として世界的に有名な存在である。

言語は42の各部族語、国語としての共通語スワヒリ語、そして旧英国植民地であるが所以の

 公用語は英語である。国民は就学以前に各部族語とスワヒリ語を覚え、小学校から英語を学ぶことになるので、通常3ヶ国語は出来ることになるそうだ。宗教はカトリック、プロテスタントで70%とクリスチャンが多数を占めるが、イスラムも海岸地方には多くその他の伝統宗教も有る。


 サファリツアー

 ツアーは通常ガイド、ドライバー付の車で全行程を移動するが、今回客は8人乗りの車に我々夫妻2名だけという贅沢さ。ドライバーはマサイ族のT君、日本語ガイドはカンバ族のE君。彼らは高卒で難関の試験をパスして資格を得たミドルクラスだというが、とてもそうは見えない。

 ナショナルパークレインジャーは、大学専門コース終了が必要で男児憧れのエリートだという。動物保護区の中では原則下車禁止、窓または屋根からのぞいて動物達を見るわけだ。

 ちなみにこの写真の車、日産の中古車だが30万キロ走行で15,000ドル位したという。日本なら廃車でタダ同然だというと、是非見つけてくれと言われたが送料はどうなんだろうね。ガソリンはリッター100円くらいで、所得比較だと日本の3倍以上になるからベラボウに高い。この車は会社の所有であり自家用車は一般国民には高嶺の花だというが、月収が高卒で400ドル、大卒で800ドルくらいと聞いたのでムリも無い話だ。日本とて50年前は同様でありました。

 アンボセリ国立保護区

タンザニアとの国境を隔てて聳えるアフリカ最高峰キリマンジャロ山(約6000メートル)の麓に広がる国立公園。ヘミングウエイがハンティングを楽しみ、「キリマンジャロの雪」を書いたという所でロッジから眺める朝焼けのキリマンジャロは最高である。

アンボセリはケニア随一の象の王国である。象の家族が子供の食事のため倒した木が道を塞いで渋滞したり、朝ロッジの庭先にホヤホヤの糞が有ったりと象の方が人間より威張っている感じだ。象が遊びに来るから、夜間は外に出ないようにと注意されもした。水牛、キリン、カバなど他の動物も色々見たが、数の多さではマサイ・マラには及ばない。

 マサイ・マラ動物保護区

 野生動物の宝庫といわれるケニアの中でも、最も多くの動物が生息しているのがマサイ・マラ。見渡す限りのサバンナには数万頭のヌーやシマウマ、インパラ、キリンなど数多くの草食動物が居るため最大のライオン生息地となっており、チータ、豹、ハイエナなど他の肉食動物も多く見られる。写真は順に、先ずライオンのボスがヌー(中央)を食べ終わり、牝も満腹し、子供も一緒に皆で昼寝。まさに草原の王者、貫禄と言うか図々しいというか。他の肉食獣たちは警戒心が強く、こんなに間近に見るのは困難である。

 マサイ・マラで最も個体数が多い草食獣はヌーである。彼らは春と秋の年2回、何万頭もの大行列を作ってケニア、タンザニア間を移動する。国境の川を渡る時多くがワニの餌食となるので、「アンコンプリートジャーニー」と言うのだとガイドが教えてくれた。私たちは幸運にも彼らの大移動を目にすることが出来たが、これは、まさに感動であった!

 最初はバラバラだったヌーの群が次第に集まって列を作ってゆく。あちらからもこちらからも次々に参加して行き、遂には見渡す限りの大行列、地平線を覆う黒く長い腺となる。

 マサイ族部落

 ツアーの一環として、ロッジから車で10分ほどのマサイ部落を訪問した。マサイ族の大多数は昔ながらの遊牧生活をしており、酋長を中心とした親族数十家族で一部落を形成し、木の柵で囲んだ広場に牛の糞で固めた小屋が並んでいる。その中10戸は、酋長の10人の妻のためのもの。どうやら10人と言うシキタリが有るらしい。酋長の権限は絶大である。マサイ族の経済価値観は牛本位であり、旅行社からの観光収入、土産販売などで得た現金は殆ど牛の購入に当てる。そしてその牛の全ては酋長の所有物とだという。

部落の若者は年頃になりライオンを仕留めると一人前として認められるが、その時酋長は牛10頭を引き出物に他の部落から花嫁を迎え若者に与える。が、しかし、なんと初夜権は酋長に有るのだそうだ!彼らは、いまだに木を摺り合わせて火を起こすのを基本としおり、私達の見ている前で3分程で乾いた牛糞に着火した。勿論マッチもライターも少しは持っているが、補充が困難なのでイザというときのための貴重品であるらしい。マサイ族には国境の観念も無く、放牧の牛を追って季節ごとにタンザニアなどへと移動するが、これは両国政府も黙認であるという。戸籍もはっきりせず、選挙にも無関心なのでマサイ族の大統領出現は有り得ないとドライバーの同族K君は嘆いていた。

 ナイロビホームステイ

 旅の最終日は、今回の現地旅行会社の社長のお宅にホームステイをした。彼は上記マサイ族ながら大学卒のビジネス成功者である。ナイロビから車で約30分の郊外、日本式にいえば3LDKに接客専用室付の平屋一戸建てだが、広さは倍近く有るだろう。奥さんと娘3人息子1人の6人家族だが、長女は英国留学中ということで会えなかった。長女は父のようなビジネス志向、次女は医者志望で日本留学が夢、他は子供なのでまだ分からないとのこと。共働きの奥さんのレジーナが、「私がこの家のボスよ。」と言うと、「ウン、私は召使だ。」と社長が笑う。「我が家も同じだよ。」と私も笑った。

同家には、同じマサイのメードさん、農作業や牛の世話をするワーカーが別小屋に3人住み込みで働いていて、野菜牛乳などはみんな自家製。ケニア風の家庭料理、絞りたてのミルクの味も格別だった。伝統の主食ウガリを一緒に作ったり、翌朝は全員でカトリックの教会へ行ったりと、ホームステイの楽しさをまたまた実感した次第である。

 終わりに

 レポート中、マサイ族の文化・生活習慣などに関する情報の多くは同行したガイドE君から得たものである。なにしろツアーの初めから終わりまで10日間、夜間以外は殆ど一緒に居るのだから、政治・経済、文化・習慣など思いつくまま問われるまま、日本語と英語のチャンポンであれこれと山ほど話をした。中でもE君が興味を示し共感したのが、日本の憲法による専守防衛の自衛隊と、虫の命をも尊ぶ仏教の不殺生の教えである。グローバリズムとは、足元の確認から出発すべし、と改めて確認した。

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