イースター島とパタゴニァ紀行 (2005.2.22―3.7) 疋 田 静 子
西経109度、南緯27度、南太平洋に浮かぶイースター
島は、人口3800人、小豆島より少し小さい島。1722年
復活祭の日にオランダ人、ロッヘフェーンが上陸、西洋
社会に紹介した火山島で、チリではスペイン語で”Isula
de Pascua” また現地の人は”Rapa Nui”(大地) と呼
ばんでいる。
各国の協力で有名な謎の石像モアイが修復され、
1995年世界遺産に指定された為、今は数軒のホテルの
他にペンションもあり、多くのポリネシア系の人たちが
観光業で生活している。
成田から9時間半でロス、乗り継いでチリの首都
サンチャゴまで13時間、夏服に着替え、島に持ち込め
ない持参の食料品をまとめ、一寸休憩、市内観光をしてその足でイースター島へ5時間半の飛行。自宅を出て最初のベッドにたどり着くのに40時間余、丸々2日かかった。
ロッジ形式の快適なホテルで夕食、参加者の自己紹介、一人参加の84才の男性、80才の女性等、中高年の16名と30才の男性添乗員、グラマーな現地女性ガイドのメンバーで、小型バス、4WDそしてわが足で3泊4日、約1000体のモアイが散在している、三角形の謎の島を探索が始まった。
先ずは、タハイ村、強い陽射、青空の下、海岸に立つ典型的なモアイを訪れる。大きな帽子を冠り白い眼を村に向けた一体が、6m位の高さで祭壇の上にすっくと立っている。しかしこの眼はレプリカで、現残している珊瑚石で作られた本当の眼は、博物館の半壊の1つだけとか。モアイは、人々を守る守護神として、千年以上に亘って制作され、石切り場から綱を操作して歩かせて移動、
<写真の上でクリックすると拡大表示されます> 村に向けアフ(祭壇)に立てた後、マナ(霊力)を持つと信じられた白い大きな眼を入れたとか。やがて部族間で、勢力の象徴としてその大きさや数を競われ、争いの中、それが持つ力を恐れた人々によって眼をことごとく壊され、引き倒され、うつむけにされ、終には全てのモアイが野に放置された。石切り場で空を見ている未完のモアイ、運搬の途中で放棄され、草原の中に立つモアイ、風化でただの石の塊のようになったモアイ、足元の地面から体の一部をのぞかせているモアイ、それはいたるところにあった。穿たれた空ろな眼で、彼らは何を見てきたのだろう。修元され、起立した40体ほどのモアイも、そのほとんどのプカオ(帽子)は地にころがっている。トンガリキに日本のクレーン会社タダノが苦心の末復元した15体のモアイが、堂々と島で最大のアフに立っている、その近くには1970年大阪万博の際日本に来たモアイも立っている。
4WDで最高峰テレブァカ525mに登れば360度海が見渡せ、南海の孤島にいることが実感できる。島の元祖オトマッカ王が上陸したと伝えられる、アナケナ海岸は断崖の多いこの島ではめずらしく白い砂浜が美しい。椰子の木陰でバーベキューの後、地もとの人に混じってモアイの見守る海で海水浴をした。ここのモアイは砂に埋もれていた為に状態が良く、立て直された今、背面の彫刻もはっきりと見ることができる。あの唯一現存する眼もここで発見されたとか。島の中心、ハンガロア村にはスーパーや市場、学校があり、1$で買ったパイナップルが美味しかった。通貨はペソだが米ドルが使える、Tシャツ10$から、マグネット2$から5$と価格は日本と変わらない。果物と魚以外、島で取れるものはほとんど無いから、物価は結構高いと思った。ラノ.カオの不気味な火口湖や、鳥人伝説のオロンゴ儀式村等々、3日間のんびり島を見学、近海マグロの刺身も堪能して、海辺のホテルハンガロアを後に空路サンチャゴに戻った。
翌日はチリ南端マゼラン海峡に面したプンタアレーナスへ4時間半の飛行、私の席は最後尾の左窓際。晴天の窓外に氷河に覆われ、光輝くアンデスの山々が目の前。反対席の84才のAさんに声をかければカメラ抱えておっとり刀、80才のBさんも駆けつけ、その素晴らしい景色に一同歓声を上げた。地の果てフェゴ島を前に、マゼラン海峡はにび色の空の下冷たい風の中さざなみをたてていた。パナマ運河が開通するまで、ここプンタアレーナスはアメリカ大陸を超える全ての船の寄港地だった。今は、南極や、南部パタゴニアの観光拠点になっている。ここから北へ350kmのパイネ国立公園、更に国境を越えてアルゼンチンのカラファテまではバスの旅、45人乗りに18名でラクチン。
マゼランペンギンのコロニーを歩いた後、強風で一方に傾いでいる木、ニャンドゥ(小さいダチョウ)、グァナゴ(小さいアルパカ)、マゼラン雁、黒首白鳥などをカメラに収めながらパンパ(大平原)を走る。パイネ国立公園には巨大な氷河と氷河が削り取った3000m級の岩峰、湖、滝、川が自然保護区として、その景観が太古のままに残されている。夕闇の中、湖の向こう高い空に指を立てたような岩峰、トーレスパイネが見えた。目的地は近い。公園内のペオエ湖に浮かぶ小島のロッジが2泊3日の宿、空には銀河と南十字星、懐中電灯の用意OK。夜明け裏山に登ってパイネグランデや「パイネの角」クエルノスが暗闇から旭に映え、輝く様を見る。先端をピンクから黄金色に変化させながら山々は紺碧の空にその岩峰を浮かび上げていく。雲ひとつない青空、轟音響くグランデの滝では2重の虹、森の木の巣穴からは3羽の雛の顔、そばの枝にきれいな中形インコが1羽、湖畔のブッシュのハイキングに疲れれば、グレイ氷河の中州で氷河を割ってオンザロック、「コーラーもあるよ!」とバーの開店。大自然の中至福の時がゆっくり過ぎて行く。
翌朝も、ロッジの猫チャンの案内で真っ暗な中、裏山に登る。空に星は見えない。夜が明け始める、同じ場所に居ながら、昨日の朝とはまるで違う景色!雲に旭が反射してまるで夢のような幻想的な世界………あまりの素晴らしさに声も出ない。猛々しかった山々が、湖に裾を広げ、超薄い様々なピンクのベールをまとって優雅に座していた。
バスが出発する頃には昨日の快晴がうそのよう、高い山々は雲の中、現地ガイドによればこれが普通、昨日のような天気は1年に数えるほどとか、因みに去年のツァーは何も見えなかったと、添乗員の談。この日は国境越え、事務所の係員は一寸御機嫌斜め、先着のバスは1時間も待たされていた。バスを乗り換えガイドも変わって、カラファテに向かってアルゼンチンの広大なパンパを走る。カラファテはとっても可愛い町だが、国際空港もある氷河国立公園の観光拠点である。
3泊4日の宿は当地最高のホテル、カントリー調で落ち着いた雰囲気のボサダ ロス アラモ。 氷河国立公園の初日は、その日が処女航海のウプサラコネクション号でアルヘンティーノ湖の北部、南米最長のウプサラ氷河(60Km)に向かう。クルーズ船は空気を含んで微妙な色合いを見せる青い流氷の間を進み、氷河の最先端(高さ100m幅5〜6Km位)に近づく。近づくにつれその巨大さに圧倒される。乗合の船中は、英語、スペイン語が賑やかに飛び交う、まだまだアジアからの観光客は少ないようだ。途中下船して、険しい山々や氷河を背景に、南極ブナの林に囲まれ青い氷片を浮かべたおとぎ話のような風景のオネージ湖までハイキング、道々現地ガイドとおしゃべり。これから増える日本人観光客の為、日本語が勉強したいとメモを取る彼女、片言のスペイン語が役にたった。船は130m余の高さを誇るスペガッツィーニ氷河を背に帰港。町を散歩すれば可愛い犬や猫が沢山目に付く。
船中で知り合ったアルゼンチン女性と夕食時ホテルのレストランで再会、目の前で折って上げた折鶴のお礼にと翌朝ドア-に自作のアートペィントのカードが挟まれていた。嬉しい思い出になる。
パタゴニアのハイライト、モレノ氷河は、すごい迫力だった。展望台からの3時間、船からの1時間の余、寒さも時間も忘れて、今も成長し、その先端が轟音と共に崩れ落ちていく様を飽きずに眺めた。落ちた反動で水中の氷塊が浮き上がる様もすごかった。それを表現するには、私の言葉も写真も全く無力。最後はブェノスアィレスでタンゴを楽しみ、各駅停車でロスまで18時間、更に12時間で成田に無事到着。
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