モスクへ行こう


 このページは、2001年の秋、と言えば「911」のちょっと後の断食月に、
モスクへ行って来た事をまとめた物です。
モスクへいったことのある人も/ない人も、
イスラム教に興味のある人も/ない人も、よろしければお読み下さい。

             SIA会員/シャプラニール会員:ナマステ(2002.9.28) 

まずは、行くきっかけとなったシャプラニール http://www.shaplaneer.org/ 
からのお誘い=============================

------------------------------------------------------------------------
◆モスクへ行こう!
―メディアからは見えないイスラムの心と文化に触れる講習会―
------------------------------------------------------------------------
■内容:都内でも有数の美しいトルコ風モスク東京ジャーミィでのモスク見学と、
イスラム教についてのお話を伺います。その後はベンガル風イフタール(断食明け
のスナック)を頂いて在日バングラデシュ人の方とも交流します。わからないこと
聞きたいことをたくさん聞いて楽しく過ごしましょう!
■参加費:1,500円(イフタールのスナック代も含む。事前にお申込ください)
■共催:特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会
   東京ジャーミィ・文化センター

===========それでは始まり(長いです)=============

先日お知らせした(つもりの)、シャプラニールより声がかかった
「モスクへ行こう!?」へ家族4人で行って来ました。

■■■■■プロローグ■■■■■

当日、妻は昼まで用事があったので、私が2人の息子を
「お母さんにナイショで3人で何かおいしいモノを途中で食べようね!」
とそそのかし、「現地集合ね!」と妻に言って、
11時ちょっと過ぎに家を出て、古淵駅まで徒歩で出発!
下の息子(4才)は、私と一緒に駅まで歩くのは初めて、
上の息子(8才)とは15分ぐらいで行けるので、
「30分ぐらいで行けるかな?」と考えて、歩き始めました。

ところが、何と電車に乗ったのは約2時間後の1時半ごろ???
その時既に後から出た妻は、代々木上原のモスクに着いた頃でした。

その理由・・・
1.次男は道路脇の縁石とかを見つけると、その上を歩かないと
  気が済まない年頃で、(シマッタ、忘れてた)
  チョコチョコ行くので駅に着いたのは既に12時過ぎ!
2.町田あたりで「何かおいしいモノ!」と考えていたのが、
  時間が経ってしまったので、古淵駅前を探して、Mr.ドーナツか
  カレーやさんにしよう!と誘ったものの、息子達はこのチャンスに
  「マクドナルドに行きたーい!」と大騒ぎ。
  その結果、ジャスコの16号線にあるマックまで、またチョコチョコ歩き
  マックでやっと「いただきまーす」
3.子供はファーストフードを食べてもスローフードになってしまい
  食べ終わったら1時過ぎ、駅へ戻って、電車はなかなか来なくて
  結局電車に乗れたのは1時半になってしまいました。

■■■■■代々木上原へ到着■■■■■

車で出かけることが比較的多い我が家ですが、横浜・東京などの「都会」へは、
社会勉強のため、なるべく電車に乗るように心がけています。
(途中縁石がなかってので)その後はスムーズに移動でき、
いよいよ代々木上原到着!

妻に携帯電話で「今着いたよー」と連絡すると、「何してたのー?」と
当たり前の返事(;´д`)トホホ
彼女はもう既にモスクの中で説明を聞いているとのこと。
駅を出たら、相変わらず縁石の上を歩きたがる修人を追い立てたり
抱えたりして、そそくさと駅近くのモスクへGO!

■■■■■いよいよモスク■■■■■

場所は、代々木上原駅近くで、小田急線と井の頭通りに挟まれた
あまり広くない敷地に、ちょっと窮屈そうに建っています。

これまでに色々な国で数十個所のモスクを訪ねているので、
特に目新しいモノでは無いけれど、日本の風景の中で見るモスクは
ちょっと感動的で、また、美しくもあります。
周囲は、落ち着いた住宅やマンションなどが建つ街並みで
紅葉の始まった街路樹も美しく、白い大理石のモスクが
とても良く映えます。

思い通りに寄り道させてくれないので泣き叫ぶ次男の声を聞きつけて、
ちょうど2階のバルコニーにいた妻が顔を出し、迎えに来てくれて一安心。
それでも、礼拝に来ている人や、おとなしく説明を聞く人の邪魔になっては
いけないと思い、しばらく(また3人で)入り口の外で階段に座って一休み。

実は、私のモノ(建物)の見方はこうで、あわてて目的物に入らず、
その前に佇んだり座ったりして、通りを眺めたり、出入りする人々を
眺めたりして、その場の雰囲気にある程度同化してから
おもむろに入ります。
(旅行の際はお勧めします。団体だと難しいかな?)

すると、やはり見えて来ますね!モスクの良いところが、中に入らずとも!
・通り過ぎる日本人は「何?この人たち?」という様な、いぶかしげな顔で
 チラリと見て見ぬ振りです。
・モスクに出入りするイスラム教徒は、ニコッとしながら「どうしたの?」とか
 「中へ入りなよ!」とか声をかけてくれます。

30分ぐらいして、子供達も落ち着いて「早く入ろうよぉー」とか言い始めた頃
品の良い老人が「モスクはみんなの場所だからどうぞいらっしゃい」と
声をかけてくれたので、入ることにしました。

■■■■■いよいよ本当にモスク■■■■■

まずモスクに入ったら何をするか?皆さんご存知???
それは、身を清めることです。

ちょうど息子達がオシッコをしたくなったので、トイレを探しに行ってみると
そこは異国・異文化・異宗教そのものの空間でした。

まず、トイレの約半分は身を清めるところ、たとえて言うなら
公園の水飲み場下の方にある手足洗い場が連続しているようなモノで
(大理石の)腰掛けもあって、そこに腰を下ろし、手足顔口などを濯ぎ
身を清めます。

残り半分は便所なのですが、まず、「小便器がなぁーい!」
そうそう、彼らは(上品なので)立ち小便はしません<(`^´)>エッヘン
従って、小便器は必要ないのですね、素晴らしい♪

それでは、大便器はどうなっているかというと、洋便器でも和便器でもない
専門用語で言うところのアラビア風便器がそれぞれのブースにありました。

それは何かと言いますと、便器それ自体は、和便器のキンカクシと呼ばれる
あの、出っ張った部分を切り取った様なもので、それが、ドア側から見て
ブースの中央に縦に配置されています。その脇に一対の足置き台があり、
ドアの脇には、下の方に水栓(蛇口)が1つと、小さなジョウロが1つ???

アレレ、どこかで見たことがある風景だな???と思って0.5秒ぐらい
考えると、・・・そうだ!バングラで住んでいた家のトイレと同じだー!

そうです、イスラム教徒(ヒンズー教徒もそうですが)の多くは、遙か昔から
手動ウォシュレットで用を足した後の始末をしていたのです。
この風景に日本で会えるとは思ってもいませんでした。
イヤァー生きてて良かった! 神様アリガトウ

そしてその空間は、ドアと便器以外ほとんど全てが大理石で出来ており
清潔感があり、とても爽やかな所でした。

■■■■■まだまだ続く■■■■■

あっさりと書くつもりでしたが、どうもこのテーマには思い入れもあり、
なかなか礼拝の風景までたどり着けません。

今日はこのあたりでおしまいにして、そのうちまた書きます。

最後に一言:
イヤァー、百聞は一見にしかずと言われますので、アッラーは異教徒も
モスクへ入ることを許している(少なくとも代々木上原では)ので
どうか皆さん、新宿の帰りにでも是非お立ち寄り下さい。

公開時間
午前11時〜午後5時(見学時間が短くなりましたので、注意!)。
礼拝堂および1階ギャラリーなどは基本的に毎日一般公開しています。
(金曜日は込むので避けた方が良い)
参考URL
http://members.tripod.co.jp/yokogurer/camii.htm
http://www11.freeweb.ne.jp/school/islam2/study/tokyojamii.htm
http://www.mainichi.co.jp/eye/hito/200109/26-1.html

最初は知人にメールで書いたので一回休んでいますが、
このサイトでは(もちろん)続けてどうぞ


■■■■■前回の復習■■■■■

11月24日(土)に東京ジャーミィというモスクに、家族4人で出かけました。
目的は、シャプラニールと、東京ジャーミィ・文化センターとが共催して行われた
『モスクへ行こう!
―メディアからは見えないイスラムの心と文化に触れる講習会―』
への参加です。

行きがけは、妻と別行動で向かったことが災いして(子供達は喜んだ?)
私と息子2人(4才、8才)は大幅に遅れての参加となり、
それでも無事に身を清めてのいよいよ礼拝堂へと向かう所です。

その前に、どういう所か説明します。(これが長ーいかも?)

■■■■■東京ジャーミーの歴史■■■■■

ここと、次の章は、下記のホームページのコピーがほとんどです。
http://members.tripod.co.jp/yokogurer/camii.htm
また、このホームページの親ホームページがありまして、
「いすたんぶうる庵」と言いますが、これも楽しいページです。ご覧下さい。
http://members.tripod.co.jp/yokogurer/index.htm

1917年にロシアで共産主義革命が起き、ロシアに在住していた多数の
トルコ人が国外避難をせざるを得ませんでした。
そのなかで、カザン州から満州経由で日本に避難したトルコ人の多くが、
その後東京に定住し、協会をつくり、日本の協力もうけて、ジャーミイと
学校を建設しました。

その後、長年祈りの場として役割を果たしてきたジャーミイの建物が老朽化し、
1986年に取り壊されました。
跡地が東京トルコ人会によって、「ジャーミイ再建」を条件にトルコ共和国に
寄付されました。その後、1997年に東京ジャーミイ基金がトルコ共和国
宗教庁長官を迎え、設立されました。
そして、1998年6月30日に開始された建設事業は2年間で完成をみたのです。

■■■■■モスクの基礎知識・機能・構成■■■■■

●ジャーミイとは

「ジャーミイ」はトルコ語で、日本語(英語)のモスクにあたります。

ジャーミイは、礼拝の場としてだけでなく、読み書きや、クルアーン(コーラン)の
暗唱を教えてくれる教育の場でもあり、また、憩の場や政治活動の場でもあります。

●用語解説

・キブラ:メッカの方向
・ミフラーブ:礼拝室でキブラの方角を示す壁のへこみ。
・ミンバル:トルコ語ではミンベル。イマーム(指導者)が説教を行う階段。
       建物に比例して大きくなることが多い。
・ハラム:礼拝室。
・ドーム:天蓋。宇宙を表現している。
・ミナレット:尖塔。高いのでモスクの目印になる。本数はモスクの規模などに
       よる。ここから礼拝の呼びかけ(アザーン)を行う。呼びかけする
       人をムアッズインという。
・ファワラ:清めの泉亭。礼拝の前に、流水で体を清める(トルコ語ではアブテスト
       という)場所。洗う順番は決まっている。
・カリグラフィー:装飾文字。ジャーミイの中では、クルアーンの中の一説や
       単語が書かれている。
・クルアーン:コーラン。イスラムの聖典。
・アザーン:トルコ語ではエザーン。礼拝への呼びかけ。

●東京ジャーミイの建築様式

外観:http://members.tripod.co.jp/yokogurer/scamiiview.htm
内観(2階):http://members.tripod.co.jp/yokogurer/camiiin.htm
1階:http://members.tripod.co.jp/yokogurer/firstfloor.htm

 ジャーミイと文化センターの建物の躯体工事は、鹿島建設株式会社に
よって行われ、設計はムハッレム・ヒリミ・シェナルプ氏、内外部仕上げ工事
はトルコ人芸術職人の手でなされました。

 東京ジャーミイと文化センターは、イスラーム文明における宗教建築の頂点を
築きあげた伝統的なオスマントルコ建築スタイルで、伝統から未来を一つの
空間にまとめた建築物です。
わけても新しさは、伝統建築においてまだ完成をみることのなかった、
一つの大ドームを中心に六つの半ドームをもつ設計になっている点です。

 ジャーミイと文化センターの敷地面積は734u、建設実施床面積は1693uです。
建物はRC造で、耐震性は高い。ドームは内部型を使わずに作られました。
内外壁における石材や大理石は、特殊技術を使って金具のみで取り付けられ、
接着剤は使われていません。

 ジャーミイの一階入り口ホールは、トルコ・イスラーム芸術作品展示場として
設計され、伝統的トルコ民家の応接の間が再現されています。
同階には多目的ホールが置かれ、金曜礼拝やバイラム礼拝のような特別の
日に礼拝場として利用できます。
また、結婚式や祝祭のような多目的集会にも適しています。

 建物の3階にあたるジャーミイ内部マフフィル階(バルコニー)を含む祈祷の間
(ハラム)では、630名が同時に礼拝できます。
必要に応じて、外部ベランダと一階部分も礼拝場として利用できますが、
その場合、最大収容人数は約2000名となります。メインドームの高さは27.25m、
直径約11m(ちなみにアヤ・ソフィアのドーム直径は31m)、
ミナレットの高さは41.5mです。

 2階・3階部分はジャーミイで、地下と一階には、多目的ホールや、
図書室、展示場、会議室、管理室、アパート、トイレなどがあります。

□□□□□以下、長崎のコメント□□□□□

私は20歳代に30ぐらいの国々を旅していますが、それには大きな目的が
ありました。それは、街を見て、文化を知り、その中で建物がどのように
生きているのかを知ることでした。

建物を大きく「世俗建築」と「宗教建築」に区別し、それらの良質と
感じるモノを自分のポケットに(背景もろとも)しまい込むよう努めました。

「世俗建築」を見てきた成果は、タウンニュースに「世界の民家」という
タイトルで紹介している様なことで、多様な形態の裏にある、ローテックながらも
その土地の自然に抗して快適さを求めた知恵の集積が感じられます。

「宗教建築」の中でも著名なモノは、ふんだんな資力と労力を費やして
そのシンボル性や演出性を十分に発揮し、人を感動させ、慕わせる事を
純粋に(?)競いあってきました。
(それはそれで私にとって参考になるのです・・・)

□ドームについて□

キリスト教でもイスラム教でも「ドーム」という形態は好まれます。
ドームは求心力を持った不思議な空間で、人間に萎縮させる様な
感覚を与える、麻薬のような空間です。
ドームの原型は、石をうまく積み重ねてお椀を伏せた様な形を作るもので
そこに人を沢山集め、一体感を持たせ、権力を誇示するには最適の形態
と言えるでしょう。

その歴史はそれほど古くはなく、今から2000年ほど前にエルトリア
(古代ローマ)あたりで発明(開発)されたようで、その後ビザンチン
(今のトルコ)で発展し、その後それがイスラム教建築としてインドあたりまで
広がり、西へはキリスト教建築として伝播されます。

すなわちそれ以前の文明(遺跡)=ギリシャ・エジプト・メソポタミアには
アーチやそれの連続であるヴォールト(蒲鉾型)はありますが
ドームは存在しません。

私は実はドーム恐怖症で、それはドームの持つ力の怖さを過度に感じて
いるからだと思います。
私が思う世界最強のドーム建築はローマのパンテオン(AD2C)
http://inpaku.kajima.co.jp/ken/kuukan/main/m_list/03.html で、さすが
「帝国」の「神殿」として1900年近くたった今でも、その威光はは衰えません。
それに対して、世界最善のドームはイスタンブールのアヤソフィア(AD6C)
http://inpaku.kajima.co.jp/ken/kuukan/main/m_list/04.htmlで、
中央の大ドームが中小のドームを「泡ぶく。o○o。」のように従え、おおらかさを
感じます。
後は似たかよったかです。

□東京ジャーミー□

東京ジャーミーは「伝統的なオスマントルコ建築スタイル」であるために
アヤソフィアの遺伝子を受け継いでおり、あまり広くない敷地目一杯に
「泡ぶく。o○o。」をこしらえていて、好ましく感じました。

しかし、実は元祖アヤソフィアはモスクとして建てられたのではなく、教会として
作られていますし、オスマントルコはずーっと後に出来た帝国で、
献堂当時はビザンチン帝国(東ローマ帝国)だったはずです。

ところがどっこい、国家や宗教が変わっても、その様式があまり変わらない
ことも建築の面白いところで、それだけ民族性の反映や、その土地固有の
条件や、あるいは「人が集まり・礼拝する」という目的に適合していると
言うことなのでしょう。

□モスク一般□

さて、モスクの話に戻しますと、私は西はモロッコあたりから、
東はインド・バングラデシュまで、様々な国々のモスクを見てきました。
(ドマンナカ中東は行っていませんが)
それらに共通するモノは、上記●ジャーミイとは の●用語解説にある
ようものぐらいで、それ以外は様々です。

ですから、東京ジャーミーを見て、「アレがモスクというモノか」などと
決めつけずに、「伝統的な(オスマン)トルコ建築スタイル」のモスクだと
思って下さい。でも、とても上質なモノです。

私が一番好きなモスクは、インドのオールドデリーの中心地にある
「ジャーマ マスジット」http://www.jnt.co.jp/india/photos.html (AD17C)
というもすくで、ムガール帝国がタージマハールを作った頃のものです。
理由は、その形の良さもありますが、内部空間よりも外部空間(前庭)を
大切にして、1万人以上もの人々が一斉に礼拝できるようにしたことで、
それがイスラム的だと考えるからです。
ここでは、素敵なドームが載ってはいますが、内部空間としては
あまり意味を持たず、威圧的でもありません。

□イスラム建築の影響□

現在のイスラム国家はもちろんですが、ヨーロッパにも影響を及ぼしています。

イスラム建築の影響は、サラセン・オスマントルコの両イスラム帝国によって
ヨーロッパ南部に強くその影響を及ぼしました。
イタリアを見るとよく分かりますが、南と東でキリスト建築なのにイスラムっぽい
様式が見受けられます。

ベニスのサンマルコ広場に面したサンマルコ寺院!(AD11C)
ベニスは芸術より商売人の都でしたから、イスラム商人との交易も盛んだった
のでしょう。とてもビザンチン的で且つイスラム的です。
まぁ、隣の旧ユーゴスラビアはいまでもイスラム国家があるわけですから
影響があって当たり前なのですが・・・

半島を南下してナポリを過ぎるともうそこは、イスラム様式があちらこちらに
出現します。特に多いのはシシリー島で、その最大のまちパレルモの教会は
の天井装飾は全くのアラベスクでした。
建築様式だけ見ると、あの洗礼されたフィレンツェのルネッサンス様式と
同じ国であることが信じられません。

イタリアが近代になって統一され、それまではバラバラの国であったことや
中世はイスラムに近世はスペインに長く支配され続けていた事(確かそう)
を考えてやっと納得するしかありません。
それにしても同じ言葉を話す、同じ民族なのに・・・???

スペインはほとんどイスラム国ですね!
「ピレリー(山脈)を超えたらそこはアフリカ(イスラム)だ」とナポレオンが
言ったとか言わないとかだそうで、中世の大傑作アルハンブラ宮殿(AD13〜15C)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kfmiitnk/a-map/spain/alhambra.html は
同時に、ヨーロッパイスラム建築の最高傑作でしょう。

他にもモスクの中に教会があるコルドバのメスキータ(モスク)(AD8〜12C)
http://www.booking-by.net/Andalusia/a_04.htm は
とても質の高いモスクのドマンナカにキリスト教会(AD16C)をぶち込むという、
とってもお下品で評判の悪い複合体になっています。

アヤソフィアのように教会をほとんどそのままモスクに転用する寛容さの
逆があって欲しかったなぁ。 どうもキリスト教徒の権力者は排他的で
困るなぁ。 今も昔も・・・(キリスト教徒の方にはごめんなさい)

また、このあたり(古いモスクが新しい教会よりキリスト教徒にも好かれている)
が「時代が新しいから良いモノが出来る科学技術」と「建築」の大きな違いで、
私が古くて愛されている建物を一生懸命見歩いた理由にもつながります。

□大理石について□

大理石って日本では高級建築材料の代表のように言われてますが、
実はそれほどのモノではありません。
主な生産地はギリシャ・イタリアあたりの地中海沿岸で、その他にも
インドや中国でも産出されます。
確かに、産地指定で、最高級品は高いのですが、そうでなければ
それなりにコストと機能性・耐久性がバランスのとれた良い材料だと
思います。

東京ジャーミーはトルコ共和国のバックアップで作られた建物ですので
トルコ産の大理石がふんだんに使われています。
グレード的には「中の上」といった感じでした。

石は山を削って切り出すのですが、品質の低いモノはくず扱いで
イタリアを旅行しているときに、線路敷の砂利が大理石だったので、
「そりゃあそうだ」と思いました。

インドではインド砂岩という、日本では高級品扱いの石を産出するのですが
やはり産地の線路敷は「そりゃあそうだ」の石でした。

そうしてみると日本という国は、色々な種類の建築材料が産出される国なの
だなぁと思います。

■■■■■まだまだ続く■■■■■

今度こそ終わらせるつもりで書き始めたのですが、建築がらみの話題なので
さらに思い入れもあり、なかなか礼拝の風景までたどり着けません。

Sさん・Oさん 前回のメールについてのご感想をありがとうございました。
今回は愛息も登場せず、つまらなかったでしょうか?
その分、引用URLを沢山載せましたので、旅行気分を味わっていただけたで
しょうか?

今日はこのあたりでおしまいにして、そのうちまた書きます。

■次回予告■

■■■■■いよいよ礼拝■■■■■

■■■■■さてさて日が暮れて■■■■■

■■■■■その他・懐かしい再会など■■■■■

実はこの原稿は未完なのです。その後は・・・もう忘れてしまってたぶん書けないのですが
イスラムについていずれまた、機会がありましたら書くつもりです。


 相模原市国際交流協会(SIA)    Sagamihara International Association


                                                                   TOPへ